深夜のタクシーで
「すみません、お先に失礼します」
明日の国会の答弁はまだセットになっていない。総理秘書官から受けた指摘に対する修正版を午前1時ころに送った後、2時間たった今も音沙汰はなかった。これ以上のサポートは不要だとのことで、担当の課長補佐から帰宅の許可をもらって帰ることにした。といっても明日の朝(というか今日の朝)は8時ころに登庁して、ファイナライズされた答弁を印刷するという責任重大な業務がある。シャワーを浴びに帰るようなものだが、帰らないよりはましだ。
官庁街にずらりと並んだタクシーの中から、ゆったり座れる天井の高いタイプを選んで乗り込む。ふと窓から見上げた霞が関は、見た目稼働率50%といったところだろうか。
「多様な人材情報をデータで一元管理しませんか。タレントマネジメントシステムのTallet」
タクシー乗車後に先ずすべきこと、それは問答無用にポータブル画面からねじ込んでくるCMから意識をそらし、いち早く仮眠に入ることだ。情報の嵐を浴びて崩れそうなおれの身体に、最後の一撃を浴びせてくる、企業CMとの格闘は霞が関ICから高速に入る頃には片を付けておきたいところだが、これがなかなか至難の業だ。
仕事と人材をマッチング、多様な人事情報をクラウドで一元管理、必要な時だけ一流助っ人の手助けを。
人事管理、特にタレントマネジメント領域に関する新しいサービスの紹介が後を絶たない。仕事の専門性をより細かく定義し、JobとSkillのマッチングを向上させていく。そのためにまずは社内の「多様な」人材・スキルをの把握を。サービスの最終的な提供価値の多くがそこにある。
霞が関の一官庁に勤めて3年目のおれにはピンとこなかった。霞が関にはこのサービスはいらない、というか使い方がわからない。
いまいるヘッポコ課に異動してきたのは昨年の7月で、8か月が過ぎたところだ。おれのいるチームは全部で5人。課長補佐2人、係長2人と、係員のおれがひとりだ。ヘルスケア産業に適用される法律の運用や関連する細かい制度の立案を担当している。
「役人は異動して1週間後には専門家のような顔で政治家や関係者に堂々と語れるようになっていないといけない」
異動の多い霞が関でよく聞く言葉だ。俺のチームのメンバーも全員総合職として入省して以来、多様な部署を経験しているようだが、ヘルスケア業界に関連した経験のある者はほとんどいない。
地頭の良さ、学習能力、キャッチアップ能力、、、国家公務員総合職に能力として真っ先に上がるラインナップだが、役所に入ればそれはすぐに腑に落ちる。なにせ1週間でその領域の「専門家」にならないといけないのだから。
コンサルティングファームとの対面
別の日、あるコンサルティング会社のチームが弊省を訪れた。我々が担当している政策領域について、担当のコンサルタントたちから課長にプレゼンさせてほしいと言うのだった。マーケティング活動であり、役所からの情報収集の一環の意味合いで、フィーは発生しない有志の勉強会の形を取った。役所としても外部の意見を聞く良い機会ともなる。
「○○課長、今日はお忙しい中ありがとうございます。我々が○○政策について分析した結果についてご説明させてください。」
そのチームは100枚近いスライドを用意してきた。コンサルタントたちはそれぞれ担当するパートについて、あらゆる角度から表現された分析を披露した。一部の海外経験豊富なコンサルタントは、資料化された分析に加えて、より個人的な体験談も交えながらプレゼンを行い、弊省の課長も負けじと質問を飛ばした。
勉強会が終わり席に戻ると、課長が我々のチームに話しかけた。
「さすが優秀なコンサルタントをそろえるコンサルティングファームだけあって、分析の見せ方はとてもきれいだったな。ただ、その中身と言えば全く大したものはなかった。我々からしたら常識的な話ばかりでやっぱり使った時間は徒労に終わったな。」
「最近は特に若い人の間で、役所からああいうコンサルへの転職者が相次いでいる。けれども役所にしかない知見だったり目線の高さがあることがやはり証明されたな。」
課長はなんだか安心したような顔をしていた。それと同時におれは強烈な不安を感じた。
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