勝負の刻
7月某日、私は霞が関のカフェでお気に入りのエスプレッソをすすっていた。
いつもより味が薄く感じるのは強烈な緊張のせいだろう。
名門ヘッポコ大学の4年生である私は、子供の頃から日本の根幹を支える仕事に携わりたいと思い、国家公務員を志してきた。
小さい頃から勉強は良くでき、大学生になった今でも卒なく就職活動をこなし、有名企業の内定も引っ提げ、国家公務員試験も上位合格し、今日の官庁訪問に臨んでいる。
「ゴクリ」
必要以上に早くエスプレッソを飲み干してしまった私は、じっとしていられず外へ出て面接会場へ向かった。
「これがヘッポコ省かあ」
昔から何度か訪れたことはあったが、面接で来てみると全く別の建物かと思うくらい巨大に見えた。
背中がじんわりと温かくなり、ネクタイにも少しばかり染みる感触がした。
30度を超える暑さなのか、それとも・・・
「こちらの部屋が待機部屋ですので、呼ばれるまでお待ちください」
少し無愛想な男性職員に案内されたのは古く無機質な部屋だった。
そこには奴隷船の如く、所狭しと受験生が座っていた。
「はじめまして」
4人席に座った私は他の3人に挨拶をしたものの、景気の良い返事は貰えなかった。
代わりに隣のテーブルから、
「好きな数学の理論は何ですか?」
「今のベンチャー投資を取り巻く環境をどうしたら改善できますかねえ」
という話が聞こえてきた。
「来た」
若干びっくりしたものの、すぐに喜びが勝った。
これが将来の日本を支えんと努力を重ねた人たちか、と興奮さえ覚えた。
官庁訪問に訪れている受験生は全部で100人程度だろうか。
ヘッポコ省の例年の採用人数は20人。
「この変態的な会話をしている奴らを4人倒せばおれはエリートの切符を手に入れられるんだ」
私はさっきつれない反応をした同じテーブルの3人に鋭い眼光を向けた。
「まずはこいつらからだな」
心でそう呟いた。
「そういえばあいつ、いないな」
官庁訪問は長丁場だ。
国家公務員試験が筆記で2次試験まであり、それに合格した者が最終合格者として名簿に記載される。
そして受験生は希望の省庁の面接を受けるのだが、この面接が3日前後もかかるのだ。
各日朝9時から夜9時くらいまで拘束され、30分~1時間の面接が7~8回重ねられる。
内容は雑談的なことから政策談義まで、幅広く対応しなければいけない。
話題は面接官の気の赴くままだ。
出来が芳しくなかったものは1日目、2日目と徐々に脱落を言い渡され、3日でも午前、午後、夕方の3回くらい脱落宣告タイムがあるのだ。
ちなみに宣告方法は、電話番として常駐している職員が、脱落者をエレベーターホールに行くよう指示し、そこで人事担当者が待っているという具合だ。
面接に行くときも同じプロセスなので、しばらくは今出て行った受験生が不合格のお知らせを受けたのか、普通に面接に行ったのか判断がつかない。
1時間以上経過して、まだ帰ってこないときに初めて、
「あ、あいつ落ちたのか」
となるのです。
この仕組みが恐怖を一層増幅させた。
受験生は毎回の面接を受け、健気なまでに反省と復習を懸命に自席で行い、何とか食らいつこうとするのだ。
私のテーブルにいた人間も、一人、また一人と減り、3日目の朝には私一人になっていた。
「よし、一丁上がり」
私は心の中で安堵した。
人数が減ったため、テーブルも減らし、3日目で初めて話す人とまた4人テーブルを作った。
残り30人。
そういえば周りを見渡すと、初日に数学の理論や経済の話を饒舌に話していた人間は全員いなかった。
決勝戦
残り30人なので、例年通りだと、後10人くらい脱落する計算。
決勝ラウンドと呼んでいいだろう。
不思議なことに、最初はインテリぶり合いをしたり、敵対心むき出しのそっけない対応を見せる雰囲気はこの頃にはもうなく、いつの間にか日常の話や励まし合いが多くなっていた。
油断をさせるためなのか、ここまで生き残ったから思い残すことがないのか。
私は彼らに愛想よく答えながら頭の中で面接シミュレーションを繰り返した。
3日目午前、私は某花形部署の気鋭の課長補佐と面接をした。
シミュレーション通りに受け答えをすると、
「同じ想いを持った受験生がもう一人いたけど、多様性大事だし一人しか取れないな。君であった方が理由教えてよ。」
脂汗が流れる。
私は「最後は気持ち」という言葉が好きではなかった。
実力がないこと、研鑽を怠ることの言い訳だと思っていたからだ。
しかし、大事なところで実力が拮抗してしまったのだ。
(ドクッドクッ)
3秒が永遠に感じた。
抜きんでられなかったことを認めるにも時間がかかった。
「ここに入りたい気持ちは誰にも負けません。お願いします。」
屈辱と一皮剥けたという感情が入り混じった複雑な気持ちになった。
「分かりました。面接は以上です。」
ライアーゲーム
私は「終わった」という絶望感を持って待機部屋に戻った。
気の利いた答えも、優秀だと思われる答えもできなかった。
着席するや否や、周りの人たちは少し口角を上げて尋ねてきた。
「どうかした?」
よっぽど私の表情が曇っていたのだろう。
私は半ば投げやりになっていたので正直に言った。
「うまく受け答えできなかった」
それを受けて皆が「大丈夫だよ」と励ましてくれた。
安堵の顔を浮かべて。
「やっぱりあの和やかな雰囲気はハリボテだったじゃねえか」
やっぱり誰も信用してはいけないと思いながら、もうどうにでもなれとなっていたため、静かに死刑宣告の時を待とうとゆっくり構えていた。
勝利の美酒
あの面接から1時間が経過して、まだ名前は呼ばれていなかった。
もう早く楽にしてくれと思いながら憂鬱になっていたが、ふと気づくと部屋の人数は一気に減っていた。
私ににやにやと「どうかした?」と聞いてきた人たちは消えていた人の殆どが、1時間以上返ってきていない。
そして昼のチャイムが鳴った。
この時点で返ってきていないということは落ちている以外ありえないのだ。
もう部屋の人数は20人になっていた。
「ふ、ふふふ」
目先のにやにやを取った者は、遠い満開の笑顔を代償にしたことに気づいた時、とりあえず中間くらいの笑顔を顔に映してみた。
午後の面接は難なく終わり、採用担当の人間が現れた。
「おめでとうございます」
この言葉で私はようやく肩の力が抜けた。
そして、間もなく別の人間が現れた。
思い出したくない敗北の面接をしたときの課長補佐だった。
「最後は能力だけでなく、気持ちも評価した」
それだけ言い残して、そそくさと帰っていった。
敗北が実は勝利だったのだ。
エリート街道の序章
夜9時、私たちはようやく解放された。
皆、晴れやかな顔というよりぐったりした様子だった。
各々帰路につき、私は霞ヶ関駅から新橋駅で乗り換え、京浜東北線のホームで電車を待っていた。
「おれは、エリートの切符をつかんだんだ」
夢にまで見た官僚。
屈辱を味わいながらもなんとかたどり着いた。
周りを疑い、蹴落としてやっと手にしたのだ。
さっき軽くなったはずの方がまた重くなった。それもさっきよりも。
「これが国を背負うということか」
ちょっと中二病めいたことを口ずさみながら、視界は素直な何かでぼやけた。
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