基本情報
題 名:『よみがえる戦略的思考』-ウクライナ戦争で見る「動的体系」
著 者:佐藤優
出版社:朝日新書
出版年:2022/10
目次
1.国家間の関係を総合的に整理する
2.「強いロシア」にかけた安倍外交
3.歴史で見るウクライナ戦争
4.コメディドラマ『国民の僕』を読み解く
5.ロシアから見たアメリカ
6.ウクライナと核兵器を考える
概要
イントロ
2022年2月24日、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が始まった。ウクライナの市街地への爆撃や市民の犠牲者の増加といったニュースに触れ、ウクライナへの同情の意識が高まっている。
一方で、日本が戦争の当事者となることなく、加えて国際関係の安定のためには、戦略的思考が不可欠だ。
本書では、国際関係は以下の三要素が複雑に絡み合った動的体系であるとし、ウクライナ戦争に対する日本の政策に、これらの体系を含んだ総合的判断が必要だと説いている。
- 「価値の体系」
- 「利益の体系」
- 「力の体系」
日本は第2次世界大戦において、価値の体系が力の体系を抑えてしまったこと無謀な戦争に突入したとし、それを踏まえて日本政府のウクライナ戦争への姿勢を評価している。
また、現在の日本において、価値観の肥大化を警戒すべきとも指摘している。
内容
1.国際政治の構成要素:「価値の体系」「力の体系」「利益の体系」の総合
アメリカはソ連崩壊後、「冷戦の勝利者」と自惚れ、30年間もの間、戦略的思考を停止していた。今回のロシア侵攻という外交的危機は、この油断がもたらしたもので、結果としてエネルギーや食糧を中心とした経済危機が深刻化している。危機の克服には、戦略的思考を取り戻すことが不可欠である。
国際関係の中核を成す国際政治において、「価値の体系」「利益の体系」「力の体系」という三つの要素がきわめて重要だ。国際関係とは、この三要素が複雑に絡み合った動的体系であるからだ。どれか一つでも肥大化すると、バランスが崩れ、国の舵取りを誤ることになる。
ウクライナ戦争を考察する前に、まずは1941年12月8日の日本にさかのぼってみる。日本は、国民総生産で約12倍、航空機生産量で5倍、国内石油産出量に至っては約800倍の差(いずれも開戦時)があるアメリカを相手に戦争を始めた。
なぜ、勝ち目のない戦争に突入したのか。
太平洋戦争の開戦を価値の体系で見るとこうなる。
欧米列強、つまり白人によって植民地支配されているアジア諸国の解放を日本が主導して行う大東亜共栄圏の構築という大義が掲げられた。客観的に見てその構想を実現する力が日本にはなかった。当時の指導層は彼我の国力差はわかっていた。
重臣会議における東條英機首相兼陸相と重臣の若槻礼次郎との応酬が価値の体系と力の体系との衝突を体現している。東條は開戦を主張し、こう語る。
今日まで外交交渉打開につとめて大いに自重してきたが、しかし、いまや武力を発動しても堂々たる正義の行動たるに恥じないのである
半藤一利『戦争というもの』PHP研究所
これに対して若槻は、
力がないのに、あるように錯覚してはならない。したがって日本の面目を損じても妥結せねばならないときには妥結する必要があるのではないか
半藤一利『戦争というもの』PHP研究所
と反論する。
東條は日本にとって重要な「価値」に依って対米戦争やむなしと主張し、若槻は自国の「力」を冷静に見極めて、不面目であっても対米開戦に反対した。しかし、肥大した「価値」の体系が「力」の体系を抑え、1941年12月8日を迎える。当時、戦争や事変のたびに部数を伸ばした新聞各紙、知識人、世論も「価値」の体系を肥大させていた。その結果、日本は壊滅的な敗北を喫した。
2.日本政府のポジショニング
ウクライナ戦争を見るときも、「価値の体系」「力の体系」「利益の体系」の三要素で検討することが有効だ。この観点からウクライナ戦争に対する日本の政策を見てみる。
大前提として、ロシアによるウクライナ武力侵攻は、国際法違反であり、ウクライナの国家主権と領土の一体性を毀損するもので許容できるものでないことは言うまでもない。しかし、それゆえに日本のインテリジェンスの分野で「政治化」が起きている。情報を扱う人間やメディアに“政治的・道義的に正しいウクライナを応援せねばならない”という意識が働き過ぎている。
「価値の体系」において、日本は過剰とも言えるくらいアメリカと同一歩調をとっているが、「利益の体系」になると様子が変わってくる。たとえば、ロシアのウクライナ侵攻後も、G7の中で唯一、ロシア航空機による自国領空の航行を認めているのが日本だ。日本がシベリア経由でヨーロッパへ至る最短航路を確保できているのはそのためだ。さらに、ロシア・サハリン沖の石油・天然ガス開発プロジェクト「サハリン1」「サハリン2」の枠組みに日本は留まる姿勢を保ち続けている。
「力の体系」についてはどうなっているか。ウクライナのゼレンスキー大統領はロシア軍を撃退するために、武器提供を求めている。しかし、その要求に日本は応じていない。2013年、それまでの武器輸出三原則に代わり、国際協調主義に基づく積極的平和主義の立場から、防衛装備移転三原則が定められた。それでも、殺傷能力のある武器をウクライナに供与することはできず、不用品扱いで自衛隊の防弾チョッキを送り、追加で市販品のカメラ付きドローンを送ったにすぎない。
一見、ちぐはぐに見える日本政府の姿勢を筆者は、国益にかなったものと評価している。「利益の体系」と「力の体系」において、国として譲れない一線を引いた日本国家の生き残り本能によるものに見える。
日本のマスメディアと「価値」の体系の肥大化
ウクライナ戦争を伝えるマスメディアの情報の扱いにも注意したほうがよい。メディアに登場する国際政治や軍事の「専門家」と称する人々は、なぜ「価値の体系」しか見えなくなっているのか。その要因は主に二つである。
第一は、日本国憲法前文と9条があるから防衛努力をしなくても日本に平和は保たれている、そう思っているため。
第二は、戦争のリアリティーがわからないため。
ウクライナでは砲撃された人々が死に、飢えに苦しむ人々がいる。死体の焦げるにおいがあたり一面に漂っている。そうした戦争の実態を想像できず、弾の飛んでこない「安全地帯」にいる人たちが、戦争シミュレーションゲームの延長線上のように現実の戦争の話をし、武器や兵器の解説をしている。
情報戦という側面からも、日本のマスメディアのほとんどが米ABCやCNN、英BBCなど欧米メディアの伝えたことを報じることが多い。しかし、ロシアメディア、それも政府系テレビ番組を情報源として活用することはない。「ウクライナを応援すべき」という価値の体系が肥大しており、ロシアの番組は情報操作が行われていて意味がないと思っているためチェックさえしていないと考える。
ロシア革命の指導者だったレーニンは、その著作『何をなすべきか』の中で、情報戦略の方法について述べている。宣伝(プロパガンダ)と煽動(アジテーション)を方法と内容において区別するというのがその要諦だ。宣伝は、政策意思を形成するエリートを対象とし、活字媒体を用いて理詰めに行う。対して煽動は一般大衆向けで、音声により、感情を煽り立てるようにして行う。このレーニン型情報戦略を、ロシアはウクライナ戦争においても継承している。
宣伝範疇に属するのが「第1チャンネル」の「グレート・ゲーム(ボリシャヤ・イグラー)」で不定期に放映する政治討論番組だ。2月24日にロシアがウクライナに侵攻した後は、クレムリン(大統領府)が諸外国にシグナルを送る機能を果たしている。「グレート・ゲーム」がクレムリンの宣伝だとしても、「価値の体系」が肥大化した日本のマスメディアの情報に染まった頭に、新たな視点を与えてくれる。
かつて日本は、太平洋戦争に突入すると英語を敵性語として排除する傾向を一層強めた。英語教育そのものは廃止されなかったが、アメリカが日本の内在論理を研究し、その成果を『菊と刀』(ルース・ベネディクト)として発表した。また、沖縄戦の前に、その後の沖縄統治を見据えた『琉球列島に関する民事ハンドブック』を作成したようには、敵国研究を行っていなかった。
それと同様の構造が、ウクライナ戦争でも起きている。とりわけマスメディアがロシアから発信される情報をまじめに分析しようとしていない。私たちは価値観の肥大化を警戒すべきだと思う。
なぜならば、肥大した価値観のためにおびただしい犠牲者を出した太平洋戦争を経験しているからだ。そして、未来において私たちが紛争や戦争の当事者にならないとも限らない。そのときに道を誤らないためにも、ウクライナ情勢を価値に流されず、多面的に見るよう努めるべきと思う。
感想
国際政治を「価値の体系」「力の体系」「利益の体系」の三つに分類する考え方は面白いと思いました。
ビジネスや一般生活に置き換えると、以下のような対応関係かと思いました。
- 価値の体系 ⇒ なぜやるのか(動機と目的)
- 利益の体系 ⇒ なぜやるのか(動機と目的)
- 力の体系 ⇒ それは実現可能か(可能性)
全ての目的には、それを達成したい動機があります。
そしてその動機は大きく分けて「ビジョン(価値)」と「経済合理性(利益)」があると考えています。
また、掲げた目的が実現可能かを推し量る(力)必要があります。
上記の通り、価値と利益は目的に直結し、力はその可能性を判断する際の指標であることを考えると、個人的には、著者が挙げている三つの分類のうち、「価値」と「利益」は「力」の上位概念だと思います。
しかし、筆者が言うように、太平洋戦争で惨敗した場面など、価値や利益の体系が肥大化し、力の体系を軽視した意思決定が行われる際には、以下のような状態になっていると言えます。
国際政治だけでなく、ビジネスや普段の意思決定においても、理念・価値観、経済的メリットに囚われすぎて、その実現可能性を適切に評価せずに進んでしまうと失敗してしまうということは容易に想像できますよね。
かつて自分では崇高な理念を基に、国家公務員になったつもりが、出来ることが少なく、ギャップに悩んでいた過去を振り返ると、自分あるいはその組織が持つ力をきちんと評価せず、価値が肥大してしまっていたのかもしれません。。。
そんなこんなで、過去の反省にも繋がった今回の書籍、如何だったでしょうか。
それではまた~
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